大学院工学研究科博士前期課程 情報メディア工学専攻 2年
鵜飼 利明さん
鵜飼さんは、学部4年次に幼い頃からの海外に行きたいという思いを果たすため、一念発起し、一年休学してアメリカに10ヶ月語学留学をしました。さまざまな経験を通して、文化や習慣の違いを実感。これまでの環境に感謝することができ、自身の人間性までが変わったとのこと。帰国後は、語学センターのスチューデントアシスタントを務め、留学する学生のサポートや国際会議への出席、自身の留学経験の講演などさまざまな活動に積極的に参加しています。これらの活動により、平成25年度には福井大学学生国際交流活動貢献学生に選ばれました。現在は大学院で研究に取り組みながら、語学の勉強も続けています。
将来は海外に行きたい、そんな漠然とした思いが幼い頃からありました。なぜか。単純にカッコいい、憧れ、楽しそうといった、映画?ドラマの中のミーハーなイメージを抱いていたからです。海外でやりたい事、目標、夢など特にありませんでした。ただ海外へのぼんやりしたとした思いだけを持っていました。大学3年生の後半、就職活動の時期になりいざ自己分析を始めるとモヤモヤしたものばかりが浮かび上がりました。本当に自分がやりたかったことは何なのか。大学生活でやり残したことは無いのか。もう社会人になって働いても悔いは無いのか。そんな自問自答を繰り返し、出た答えが長期留学でした。ですが、友人達とともに卒業ができなくなってしまうし、そもそも留学して解決するのか、など再度自問自答。ですが、留学して卒業が遅れるのはリスクでもないし、やらずに後悔するよりやって後悔しよう、と勝手に自己解決し留学を決意しました。決意後は1年間の休学届を提出し、必死に英語学習。今思えば、英語学習は留学後に必死にするので、日米の文化を学んでおくべきでした。加えて、当時は留学への淡い期待を抱いていたんだなと今でも思います。出発当日のギリギリまで、準備に明け暮れながらも無事にアメリカへと旅立ちました。
ちなみに、アメリカを選んだ理由は、多国籍から成る価値観?多様性に溢れ、かつ金融やテクノロジーで世界を引っ張る大国で学び触れる刺激は、何処よりも沢山あると考えたからでした。また、私が映画好きということもあり、映画で使われた舞台に訪れたいという気持ちも少なからずありました。私は語学留学という形態で留学をしたのですが、より現地学生と触れ合う機会が多いオンキャンパスと呼ばれる語学施設を持つ大学を選びました。そして、東海岸のマンハッタンまで近いが、勉強に集中できる環境を取り揃え、治安も悪くなく評価が良い大学とかなり絞り、留学先を決めました。
まずは大学に到着して驚きました。広大な敷地(敷地内に川)、緑豊かな環境、豊富な施設(ビュッフェ形式の学生食堂にジム)。これこそ、アメリカ。これこそ、映画の中で見たキャンパスと一人感動を覚えたことを今でも覚えています。郊外に位置する大学だったことから周りは住宅と幾つかのファーストフード店、大きなスーパーにローカルな映画館と勉強に集中できる環境でした。二人部屋の寮生活でしたが、フレンドリーな相方でとても安心しました。そんな環境の中で、英語学習、サイクリング(ホームセンターで購入)、ジムでトレーニング、散歩、ランニング、バーベキュー、パーティと留学生活を満喫していました(大部分は勉強です)。
また、語学留学ということで、リーディング、リスニング、ライティング、スピーキングと基本的なスキルを広く学びました。日本の講義と違い驚いたことが、各々の意見を求められること、グループで作業を進めることが多いことに驚きました。その場でグループを作りまとめた意見を発表したり、ディベートによる討論では論理的な意見を展開し勝ち負けも学生が判断するなど、積極的な授業参加を求められ、その参加度によって毎月の成績が決まるのでみんな必死でした。授業の最後には毎回宿題を出され、2日後には提出しないといけませんでした。テキストの問題を解くだけなら良かったのですが、エッセーの提出には大変苦労しました。感想文ではなく、イントロダクション?ボディ?コンクルージョンのように章立てるとともに、論理的な説明とエピソード、見合った語彙の選択など作成に不慣れな私の当初の成績は、赤色の訂正で埋まっていた覚えがあります。
留学生活を満喫していると書きましたが、当初は語学以上の悩みがありました。当然かもしれませんが、価値観と環境の違い(カルチャーショック)です。
価値観の違いで言えば、おとなしく謙遜するタイプの日本人とは違い、他学生は非常にアクティブでアグレッシブ。自分の意見は押し通す、よく喋る、したたか、旺盛な自己アピール。そこまでしなくても、と何回も思いましたし、納得がいかないこともありました。
環境の違いで言えば、コンビニが少ない、24時間営業ではない(お酒が夜に買えない)、お店とお店の距離が長い(車が欲しい)、バスが定刻に来ない(バスは速く到着したら待たずに出発)、寮はなにか映画の中の独房を思わせる雰囲気、毎日ファーストフード、寮内は料理禁止、ケトルの水は洗面所の水を使用、地味に値段が高い、スーパーのサービス対応の悪さ(不機嫌)、所々に見る雑さ。
またインフラ施設が悪く、台風で地域一帯が停電した時は驚きました(一帯が文字通りに真っ暗に)。また、初雪の際にも全て停電し、全ての寮生に避難勧告が出されました。それでも寮に残るという寮愛がある人以外は、陸上トラックを収納できる程の大きさの体育館に避難しました(簡易ベッドに高カロリーの食料が出され、皆修学旅行のノリでしたが)。
私自身はストレスは貯めない性格ですが、それを感じる場面が多々ありました。日本に居た時との思い描くイメージとのギャップ。私がイメージしていた華やかでオシャレでスマートなスタイルの学生とは違い、上下スウェットにサンダル登校は当たり前。大量生産?消費。実際に通い、目で見て肌で感じ触れ合うことで分かることでした。ですが、これこそが環境や価値観の違い、これこそ僕が求めていたものだと開き直り向かい合いました。放課後先生を呼びとめて居残り練習、図書館に籠り宿題と格闘(特に小論文の作成は辛かった)、加えてスポーツを通してできた友人と積極的に交流(パーティー)に遠出と、全てを学びに変えて、行動しました。また、東から西へと横断旅行を果たし行く先々で出会う多くの方達と会話するとともに、イメージとのギャップ、超富裕層がいる背景には真逆の生活を強いられる人もいるのだと実感しました。感じたことをノートに綴りながら、全て自分の考えで行動し考えることで、当初の悩みも自然と消えていました。
帰国後は、単なる噂だと思っていた逆カルチャーショックを感じました。アメリカの大学の雰囲気や人々の生活に慣れ始め、その視点から見る日本は以前と異なる雰囲気があったからです。思い悩んだ時の解決策は、まずは行動してみること。自ら積極的に動くことでチャンスが広がるということ。これは留学中に特に学んだことです。阿吽の呼吸が無い文化で、自分から動かなければ相手は動かず、言いたいことも自分から言わなければ相手は感づいてくれなかったからです(ある意味、言ったもん勝ちみたいな雰囲気のある文化で、メンタルの図太さを感じました)。そこで日本に居る以上に、自分が学んだ事、思った事や考えた事を友人や家族にアウトプットしました。そこから、意見を聞いて再度考える。これを繰り返しました。また、自分のアンテナや行動範囲も広げ、学内の留学生交流最新老虎机_森林舞会游戏-电玩城|下载に参加するとともに、英語学習の機会に多く携わりました。また、学外最新老虎机_森林舞会游戏-电玩城|下载にも積極的に参加しました。目的が明確でなくとも、参加して感じ取ることで次の機会に繋がると思ったからです。市が講師を招く最新老虎机_森林舞会游戏-电玩城|下载にも参加しました。その中で思った事は日本においても英語を学ぶ機会は沢山あるということでした。
これらの行動により、結果的に、語学施設での経験やインターンシップ学生のサポート、国際会議、留学経験についての講演等の機会に恵まれました。ひいては、福井大学国際貢献交流活動貢献制度に認定される結果となりました。
留学前には、学生はなんと学ぶ期間が長いのだろう(遊ぶ期間が長いのだろう)、目的も無いし何をしようか、とりあえず部活に行こう、といった非常にモラトリアムな日々を送っていました。ですが、留学を終えて非常に成長?したと思います。それは、語学力の向上はもちろんですが、今まで生活してきた環境とは全く違う非日常に身を置き、そこから生まれた自己反省(非常に長くお金がかかるものでしたが)ができたからです。限りある資源(時間)を有効に使う、これ大事だと感じました。
月並みな言葉ですが、留学を経験して本当に良かったと思います。というのも、全く異なる環境に身を置く事で、そこから学び感じることが必ずあるからです。語学を勉強するだけなら、自宅でも出来ますが、目で見て肌で感じるその場の雰囲気は、留学しないと体験できないことです。その体験は、新鮮で刺激的で、文字通りの多様さを感じるものです。また、サバイバル能力?も鍛えられます。知人がいる温かい環境ではない少しスリルを感じる環境では、今いる環境が恵まれていると感じると思います。留学を終えて学ぶ事は非常に多く、10ヶ月間の留学はまだまだ足りませんでした。もっと滞在し、語学以外に更に専門分野を勉強したいという気持ちが非常に強くなりましたが、それは次の機会になりそうです。