北出 順子

保健師の現場から歴史をたどる

  • 北出 順子
  • KITADE Junko
  • 医学部 准教授(公衆衛生看護学、医療の歴史社会学)

Profile

福井県出身。2005年、福井医科大学(現福井大学医学部)大学院医学系研究科看護学専攻修了。2018年、佛教大学大学院社会学研究科修士課程修了。2022年、同研究科博士後期課程単位修得満期退学。福井市保健師を経て、2008年、福井大学医学部看護学科講師。2020年より現職。
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過去の失敗、大切な教訓

 保健師(2001年以前は保健婦/士)は、看護師課程に加えて公衆衛生看護学や疫学?統計などの学びを深めた公衆衛生のスペシャリストです。公衆衛生の目的は、人々を不健康から衛ること。保健師は昭和初期に資格化されました。
私が行っている研究は、保健師が行ってきた活動の内実とその意味を明らかにすることです。特に昭和の戦前から戦後の保健師活動を追うことで、貧困や劣悪な環境の中で生きる人々と、力を合わせて立ち向かった様相に注目しています。しかし戦前戦中期における保健師活動は、時代に翻弄され、結果として戦争に勝つための人口政策に手を貸していたことも否めません。当時は、乳幼児の高い死亡率や学童の健康状態の悪化、青年期の死亡やこどもを持つ母親の死亡などが課題だったので、健康で戦える国民を増やすことは保健師の使命でもあったというわけです。

 

保健所法制定当時の保健婦教本として社会事業研究所が昭和15年に出版した『社会保健婦』

保健師の役割の変化

 保健師という資格は国家資格として現在に至っています。戦争遂行を目的とした「健民健兵」政策の下請け屋ともいえる保健師が、なぜ今も残るのでしょうか。ここに保健師に求められる役割があるのではないかと考えました。保健師資格ができた当初の住民に対峙する方法は、当初は個人や家庭への訪問指導でした。しかし、個人や家庭への訪問では効率が悪く、対象とする人数は限られます。次第に婦人会や敬老会などの既存の組織や学校と協働した活動を行うようになっていきます。一方的に指導するのではなく、人々と力を合わせ困難に立ち向かう保健師の姿を、古い文献から見つけた時はワクワクしたものです。これらは、「ポピュレーションアプローチ」や「地域づくり」として現代においても有効な公衆衛生活動のひとつとなっています。
 こんなことを考えている私は、こどもの頃から歴史好きです。祖父母の家に源氏物語の現代訳があり、小学校から帰ると毎日読んでいました。高校卒業後、看護の道へ入ったのですが、看護史?公衆衛生史との出会いは、歴史学に進まなかった自分と折り合いをつけることにもなりました。

It's My Favorite!

阪神タイガースの大ファンです。甲子園球場で見かけたらお声がけください。一緒に応援しましょう。